どらこにあ戦記
日記です。
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論点として本質がブレている
「嫌な事件だったね」と何人の人が言ったか知らないが、先週末アキバで起きた事件は惨かった…うつしよの儚さすら感じる。志半ばで亡くなられた方々のご冥福と、今も苦しんでいる方々の一日も早いご回復を願います。

さて、押井守監督が「風の谷のナウシカ」を批評した件について。

これって、要するに、「日本人が持っているドラマツルギーに対する批判」だと思うんですよ。で、ドラマツルギーって奴は、民族・宗教・地域の歴史に基づくものなので、容易には変えがたい。

日本人以外は皆な、ドラマツルギーに左右されないリアリストかと言えば、たかだかアメリカ合衆国大統領の演説に感極まって、涙をボロボロこぼすおばちゃんがいるわけで、この仮説はどうも成り立ちそうも無い。第一、ナウシカの自己犠牲というのは、西洋のコンテキストでいえば、聖女のそれに置き換え可能だったのではないか?

受け手が持っているドラマツルギーにあわせた作品を作ることを「優秀なストーリーテリング」と呼ぶか、「媚び」と呼ぶかは、受け手のつくり手に対する心情に左右される。そもそも受け手が持つドラマツルギーを意識しない作品というのは、なんのカタルシスも呼び起こさないし、"アバンギャルド(笑)"と評せざるを得ない作品であろう。

その、容易には変えがたい「ドラマツルギー」の彼岸にたどり着いたか、つまり「既存のドラマツルギーを超えるドラマツルギー」をもってストーリーテリングをしているか?という観点で見れば、日本的であるか西洋的であるかの違いがありこそすれ、ドラマツルギーとそこから得られるカタルシスという構図において、押井監督も彼が批評した人間と同じ穴の狢ではなかろうか、というのが今回の結論。
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【2008/06/11 02:07】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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